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舞台

バストリオ 世界のかけら(SFマガジン2015年10月号 現代日本演劇のSF的諸相 第15回)

世界はただ、そういうふうになっていた。 『100万回』 バストリオの作品をはじめて見たのは二〇一三年の二月、横浜のnitehi worksでのことだった。タイトルは『点滅、発光体、フリー』。複数の物語の断片、歌、ダンス、光のコラージュで作り上げられた時…

ロロ『いつだって窓際であたしたち』

戯曲と演出と俳優の能力が重なり合えば、観客の想像力を喚起して、意識の流れを誘導し、その場にいなくなった人間についての物語も、あるいは前後の時間や、舞台の外側の空間についても、容易に観客に想像させることができるのだ。すなわち、ある限られた空…

移人称/演劇/鳥公園(In-vention第3号、2015年2月)

文芸評論家・渡部直己は「今日の「純粋小説」——『日本小説技術史』補遺」(新潮2014年10月号)を「移人称小説の群れ」と題した節からはじめている。渡部は小野正嗣『森のはずれで』(〇六年)、岡田利規『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(〇七年…

ジエン社『30光年先のガールズエンド』劇評

ある種のテレビゲームには「強くてニューゲーム」というシステムがある。RPGなど、プレイヤーが操作するキャラクターを少しずつ強化しながら進めていくタイプのゲームに多い。一度ゲームをクリアすると、その時点でのステータスやデータを引き継いだ状態…

フランケンシュタインの視線——鳥公園『緑子の部屋』解説(冒頭部/全文はペネトラ7掲載)

この文章は鳥公園『緑子の部屋』の解説として書かれている。ここで言う『緑子の部屋』は二〇一四年三月に鳥公園#9としてまずは大阪で、次いで東京で上演された、西尾佳織の作・演出による演劇作品である。二〇一五年十一月に書かれているこの文章は、筆者…

ドキュメンタリーと編集——村川拓也『終わり』(2015.4.ver.)

村川拓也の新作ダンス作品『終わり』を観て何よりもまず驚いたのは、それがあまりにダンス然としたダンスだったことだ。クレジットがなければコンテンポラリーダンスの振付家による作品だと思って見ただろう。しかしそれは村川の、いわゆる「振付」能力の高…

『蒲団と達磨』とサンプル

岩松了の戯曲『蒲団と達磨』には人の出入りが多い。舞台となる和室にはその主である夫婦とその家族だけでなく、彼らの友人知人、果ては赤の他人であるバスの運転手や家政婦の恋人までもが登場する。蒲団が敷かれ、寝室として使われている和室にだ。ここに岩…

SPAC『ハムレット』

登場人物を削り(ギルデンスターンもローゼンクランツも墓堀も登場しない)110分とコンパクトな宮城聰演出『ハムレット』。 韻を踏んだ、というかほぼダジャレのように連なる台詞でテンポよく進む喜劇調の前半は、それなりに楽しく見つつもあまり乗れず、し…

contact Gonzo『xapaxnannan:私たちの未来のスポーツ』

contact Gonzoの新作は京都サンガF.C.の本拠地でもある西京極スタジアムで「上演」された。2万人収容の巨大スタジアムで「上演」された作品のタイトルは『xapaxnannan(ザパックスナンナン):私たちの未来のスポーツ』(以下『xapax』)。ゴンゾのメンバー…

ルイス・ガレー『メンタルアクティヴィティ』

ところどころが液体で濡れ、黒のペンキらしきもので汚れた板敷きの舞台。舞台奥には三基の照明が立ち、強烈な光を客席に向けて発している。客席の明かりが落ちてしばらくすると、光の向こう側から何かが飛んでくる。ベルト、ペットボトル、コンクリートブロ…

オオルタイチ+金氏徹平+西川文章「ミュージックのユーレイ」

金氏徹平『四角い液体、メタリックなメモリー』展示空間でのイベント第2弾は音楽ライブ。 幽霊の衣装でオオルタイチが登場すると、金氏徹平の展示物のアクリルボードで作られたブースに入りお経(?)を唱える。お経が終わるとアクリルボードに油性マジック…

劇団子供鉅人『逐電100W・ロード100Mile(ヴァージン)』

シェイクスピア『マクベス』で国外へと放逐された二人の王子に焦点をあてた言わばマクベス・スピンオフ作品。『マクベス』をネタにやりたい放題かと思いきや、なかなかどうしてシェイクスピアを引き受けようとしていて好感。特に修辞を凝らしたセリフの応酬…

藤田貴大演出『小指の思い出』

難解、台詞が聞こえないとの前評判に怖れをなしていたがそんなことは全然なく。台詞はほぼほぼ聴き取れたし、演出や構成に関しては野田秀樹の戯曲をきちんと整理してわかりやすく提示していたように思う。特にいくつかの場面を冒頭に寄せてプロローグの形で…

KAIKA『gate #12』

劇団しようよの大原渉平ディレクターによる3団体×2プログラム、計6団体による試演会。KYOTO EXPERIMENT2014フリンジ企画オープンシアターエントリー作品。 各演目間の転換の5分でそれぞれの作・演出の話を聞くコーナーがあるのはよかった。 以下、ほとん…

She She Pop『春の祭典——She She Popとその母親たちによる』

ドイツの女性パフォーマンス集団She She Popはかつて、『リア王』をモチーフに自らの父親たちと『Testament』という作品を作り上げた(筆者は未見)。自らの母親たちとの共同作業による今作『春の祭典』はその続編とでも言うべき作品である。『春の祭典』を…

村川拓也『エヴェレットゴーストラインズ』

大筋は去年の『エヴェレットラインズ』(こちらを参照のこと)から変わらないものの、全体の構成や照明などの演出はより丁寧に。上演中、誰もいない空間に照明があたる瞬間が何回かあるのだけれど、その瞬間に象徴されるように、不在によりはっきりとフォー…

ルイス・ガレー『マネリエス』

薄明かりに立つ女性ダンサー。衣装は黒の上下の下着のみ(と言ってもセクシーな感じは微塵もなく、スポーティな印象)。目を凝らしてようやくダンサーの姿が幽かに見える程度に光量は絞られている。輪郭がぼやけて見えるのはダンサーが痙攣しているのかそれ…

板垣賢司+ 森千裕+ 横山裕一+金氏徹平「トレースのヨーカイ」

金氏徹平の展示『四角い液体、メタリックなメモリー』の二つの展示空間のうちの一つ、京都芸術センターギャラリー南で行なわれたライブペインティングパフォーマンス。今回の金氏の展示は「琳派」というお題に応える形で企画されたものだという。「琳派」は…

ルビンの壷、あるいは演劇 村川拓也論

はじめに 村川拓也の演劇作品はルビンの壺に似ている。ルビンの壺とは図地反転図形の1つ、壺にも向き合う2人の人物の顔にも見えるというあの図形の名前である。 たとえば、村川の演劇作品『ツァイトゲーバー』『言葉』『羅生門』ではそれぞれ「介護」「被…

あごうさとし『純粋言語を巡る物語−バベルの塔Ⅰ−』

役者不在の演劇(=観客が動かされることによって生起する演劇?)だったという前回公演『−複製技術時代の演劇−パサージュⅢ』が好評だったので今回の公演を予約。今回はまた新たなシリーズの第一弾ではあるものの、前回までの実践を踏まえた試みであると思わ…

東京都現代美術館「新たな系譜学を求めて−跳躍/痕跡/身体」+α

チョイ・カファイのレクチャー&デモパフォーマンスとダムタイプ高谷史郎のトークを目当てに初日に。 どうせ何回か来ることになるので今回は映像はごく一部しか見なかったけど(映像はめちゃめちゃいっぱいあるので全部見ようと思ったら一日がかりなのではと…

問うために/遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』レビュー

質問をするのになぜ資格がいるのだろうか。『夏の終わりの妹』の舞台である架空の町、汝滑町にはインタビュアー資格制度なるものがあり、その町ではインタビュアー資格を持っていれば誰にどんな質問をしてもよいのだと言う。逆に資格を持たない者にはどんな…

useful_days 10/13:木ノ下歌舞伎『木ノ下歌舞伎ミュージアム "SAMBASO" 〜バババッとわかる三番叟〜』

木ノ下歌舞伎は古典と現代を接続するためにさまざまな試みをしてきたが、今回の『木ノ下歌舞伎ミュージアム』はその活動のひとまずの集大成であると言える。演目としてはタイトルにもあるように2008年初演のダンス作品『三番叟』(監修:木ノ下裕一、演出:…

useful_days 10/12:ARICA+金氏徹平『しあわせな日々』

愛知まで足を伸ばしてあいちトリエンナーレの上演演目、ARICA+金氏徹平『しあわせな日々』(原作:サミュエル・ベケット/クレジットは「原作」となっているものの、基本的には戯曲に忠実に上演されている)を見てきた。(以下、ネタバレ多々あり。関東圏で…

useful_days 10/9:村川拓也『エヴェレットラインズ』

村川拓也は『エヴェレットラインズ』の当日パンフレットに次のような文章を寄せている。 1.30人〜40人の人々に手紙を送った。手紙を受け取った人々はこの作品の出演候補者である。手紙には指示が書いてある。その指示に従う場合は当日劇場に来て出演者とし…

ハリボテの世界 冨士山アネット/Manos.『Woyzeck/W』(マノスver.)

ヴォイツェクには常人には見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる。医者に精神錯乱であると診断されるヴォイツェクの見る世界。しかし常人の見る世界とヴォイツェクの見るそれの果たしてどちらが正常なのか。2つの世界に確たる境界はあるのか。冨士山…

他者を殺す想像力 鳥公園『蒸発』

「わたし」には「あなた」の考えていることはわからない。ただ想像するしかない。たとえば平田オリザ/青年団の演劇において、登場人物の内面は緻密に組み立てられた表層によってのみ観客に示唆される。役を演じる俳優がそのとき何を考えているのかは問題と…

ルビンの壺、あるいは演劇

この文章は村川拓也の3つの演劇作品『ツァイトゲーバー』『言葉』『羅生門』について書かれた2つの文章「「として見る」こと」(http://yamakenta.hatenablog.com/entry/2013/01/29/180333)「フレームを揺らす」(http://www.wonderlands.jp/archives/239…

演劇をめぐる言葉について

この文章はワンダーランドに掲載された『紙風船文様』のクロスレビュー(http://www.wonderlands.jp/archives/23433/)への西尾さん(『紙風船文様』構成・演出)の応答(http://www.wonderlands.jp/archives/23742/#more-23742)から派生したやりとり(http…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について4.5

ナンパされた男と寝て処女を捨てたヨーコは「全然大したことないじゃん」と言って「あ」を抱きしめる。相手の男はそこには表象されない。彼はヨーコの人生の中で重みを持たず、それよりも「あ」の存在の方が彼女にとってはリアルなのだ。文字として示される…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について4

冒頭の「モノ」ローグが終わるとハヤシエリコという女性が登場する。彼女は周囲の人間に点数を付けている。道に唾を吐いたら10点、すれ違いざまに舌打ちをしたら3点。バイト先の店長は少し前まで86点だったが色々あって今は1点だ。続けて登場する店長はハ…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について3

昼に2回目を観てきた。佐々木敦×山本卓卓のアフタートークでは「今の人たちは日常的に文字とコミュニケーションしている」「文字が出てくるとそれを読んで想像するから、荒唐無稽な内容でも観客と同一化する部分が必ず出てくる」といった話が出た。前回観た…

革命と日常(映画美学校アクターズ・コース初等科第2期修了公演『革命日記』レビュー)

そもそも革命という言葉が意味するのは既存の価値観や体制の転覆であり、だらだらと続く日常が途切れるその瞬間にのみ立ち現れるものとして革命はある。ゆえに革命を志す者もまた、革命が達成されるその瞬間までは日常の中に生き続けるしかない。革命への意…

平田オリザと松井周について

【この文章は映画美学校アクターズ・コース初等科第2期修了公演『革命日記』の企画の一部として執筆したものです。映画美学校アクターズ・コースブログhttp://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/より再掲しました。】 今回、稽古場を見学していて「新鮮さ…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について2

もう少し文字の扱いについて考えてみようと思う。作品の中である登場人物は「あ」という文字を失い(発声することができなくなり)、その「あ」はなぜか立体化/実体化して別の登場人物に飼われることになる。感情によって色を変えるという「あ」は人間の腰…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について1

普段はブログの記事にしろ劇評にせよ、ちょっとずつ推敲しながら何日かかけて書くのだけれど、しばらくはスピード重視で考えたことを書けるところまで書くということをやってみようと思う。というのも、前はTwitterではネタばれとかあまり気にせずにバンバン…

「として見る」こと ー村川拓也『ツァイトゲーバー』『言葉』のtheatricalityー

0.はじめに 村川拓也の『ツァイトゲーバー』は2011年のFESTIVAL/TOKYO(以下F/T)公募プログラムの一環として上演され、参加作品の中から優秀作品を選ぶF/Tアワードにおいて、受賞こそ逃したものの高く評価された。この評価を受け、続く2012年のF/Tでは主…

旅行記のような劇評を目指して

誰のために劇評を書くのか。 私は観客のために書きたい。 せっかく劇場に足を運んだのに作品を楽しめなかった、ということは、残念ながらよくあることだろう。 何がいけないのだろうか。 そもそも見る価値のない作品だったのか。 そうかもしれない。 だが、…

contact Gonzo『Abstract Life《世界の仕組み/肉体の条件》』

0. 本稿では2012 年9月、神奈川芸術劇場での企画、KAFE9の一部として上演(?)されたcontact Gonzo(以下ゴンゾ)の『Abstract Life《世界の仕組み/肉体の条件》』(以下『Abstract Life』)という作品を取り上げる。KAFE9の公式サイトではこの作品は写真…

地点『光のない。』(2012)

「わたし(たち)」「あなた(たち)」が執拗に反復される地点『光のない。』のオープニングはエルフリーデ・イェリネクの『光のない。』というテクストへの優れた導入となっていた。閉ざされた防火シャッターの前にせり出した舞台。「わたし」と言いながら…

三野新『あたまのうしろ』(2012)

ヒッピー部『あたまのうしろ』は奇妙な作品だった。ヒマワリが咲く庭の映像とその前に立つ女。彼女の写真を撮る男。時おり言葉が交わされるものの、物語を紡ぐほどではない。舞台では人が動き、写真が撮られ、映像が撮られ、そして映し出されたそれらがまた…

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(2012)

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(以下ジエン社、『キメラガール』)で彼らが希求していたのは世界の可能性だ。演劇というメディア、同時多発会話という手法、将棋というモチーフは全て、世界の可能性に手を伸ばすために…

LFKs『たった一人の中庭』(2012)

0. 『たった一人の中庭』の最後に待ち構えているのは校庭のそっけない立て札だ。「外国人に食物を与えないでください。 Please do not feed the foreigner.」動物園の檻にこれとほぼ同一の文句が掲げられていることを考えると、これは鑑賞者に対する痛烈な皮…

メヘル・シアター・グループ『1月8日、君はどこにいたのか?』(2012)

『1月8日、君はどこにいたのか?』は1挺の拳銃をめぐるサスペンスだ。ジャン・ジュネ『女中たち』の稽古のために芸術家サラの家に集まった4人の女とその関係者の2人の男。男の1人、兵士のアリが目を覚ますと他の面々の姿はなく、そして彼の拳銃も消え…

三野新インタビュー(2012)

ヒッピー部は「写真家・三野新を中心に、写真と身体行為の関係性を探求するカンパニー」(ヒッピー部公式サイトより)である。F/T公募プログラム参加作品である『あたまのうしろ』もまた、写真を撮るという行為自体を題材とした上演となるようだ。F/T公式サ…

クレタクール『女司祭−危機三部作・第三部』(2012)

海外から招聘された演目を観ていつもどこか居心地の悪い思いをするのは、それが上演される背景となった事実や文脈に実感を持てないからだ。『女司祭‐危機三部作・第三部』も語られる内容に実感を持てないという点では同じだったのだが、それでもなお、厳しい…