舞台

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について4

冒頭の「モノ」ローグが終わるとハヤシエリコという女性が登場する。彼女は周囲の人間に点数を付けている。道に唾を吐いたら10点、すれ違いざまに舌打ちをしたら3点。バイト先の店長は少し前まで86点だったが色々あって今は1点だ。続けて登場する店長はハ…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について3

昼に2回目を観てきた。佐々木敦×山本卓卓のアフタートークでは「今の人たちは日常的に文字とコミュニケーションしている」「文字が出てくるとそれを読んで想像するから、荒唐無稽な内容でも観客と同一化する部分が必ず出てくる」といった話が出た。前回観た…

革命と日常(映画美学校アクターズ・コース初等科第2期修了公演『革命日記』レビュー)

そもそも革命という言葉が意味するのは既存の価値観や体制の転覆であり、だらだらと続く日常が途切れるその瞬間にのみ立ち現れるものとして革命はある。ゆえに革命を志す者もまた、革命が達成されるその瞬間までは日常の中に生き続けるしかない。革命への意…

平田オリザと松井周について

【この文章は映画美学校アクターズ・コース初等科第2期修了公演『革命日記』の企画の一部として執筆したものです。映画美学校アクターズ・コースブログhttp://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/より再掲しました。】 今回、稽古場を見学していて「新鮮さ…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について2

もう少し文字の扱いについて考えてみようと思う。作品の中である登場人物は「あ」という文字を失い(発声することができなくなり)、その「あ」はなぜか立体化/実体化して別の登場人物に飼われることになる。感情によって色を変えるという「あ」は人間の腰…

範宙遊泳『さよなら日本-瞑想のまま眠りたい-』について1

普段はブログの記事にしろ劇評にせよ、ちょっとずつ推敲しながら何日かかけて書くのだけれど、しばらくはスピード重視で考えたことを書けるところまで書くということをやってみようと思う。というのも、前はTwitterではネタばれとかあまり気にせずにバンバン…

「として見る」こと ー村川拓也『ツァイトゲーバー』『言葉』のtheatricalityー

0.はじめに 村川拓也の『ツァイトゲーバー』は2011年のFESTIVAL/TOKYO(以下F/T)公募プログラムの一環として上演され、参加作品の中から優秀作品を選ぶF/Tアワードにおいて、受賞こそ逃したものの高く評価された。この評価を受け、続く2012年のF/Tでは主…

旅行記のような劇評を目指して

誰のために劇評を書くのか。 私は観客のために書きたい。 せっかく劇場に足を運んだのに作品を楽しめなかった、ということは、残念ながらよくあることだろう。 何がいけないのだろうか。 そもそも見る価値のない作品だったのか。 そうかもしれない。 だが、…

contact Gonzo『Abstract Life《世界の仕組み/肉体の条件》』

0. 本稿では2012 年9月、神奈川芸術劇場での企画、KAFE9の一部として上演(?)されたcontact Gonzo(以下ゴンゾ)の『Abstract Life《世界の仕組み/肉体の条件》』(以下『Abstract Life』)という作品を取り上げる。KAFE9の公式サイトではこの作品は写真…

地点『光のない。』(2012)

「わたし(たち)」「あなた(たち)」が執拗に反復される地点『光のない。』のオープニングはエルフリーデ・イェリネクの『光のない。』というテクストへの優れた導入となっていた。閉ざされた防火シャッターの前にせり出した舞台。「わたし」と言いながら…

三野新『あたまのうしろ』(2012)

ヒッピー部『あたまのうしろ』は奇妙な作品だった。ヒマワリが咲く庭の映像とその前に立つ女。彼女の写真を撮る男。時おり言葉が交わされるものの、物語を紡ぐほどではない。舞台では人が動き、写真が撮られ、映像が撮られ、そして映し出されたそれらがまた…

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(2012)

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(以下ジエン社、『キメラガール』)で彼らが希求していたのは世界の可能性だ。演劇というメディア、同時多発会話という手法、将棋というモチーフは全て、世界の可能性に手を伸ばすために…

LFKs『たった一人の中庭』(2012)

0. 『たった一人の中庭』の最後に待ち構えているのは校庭のそっけない立て札だ。「外国人に食物を与えないでください。 Please do not feed the foreigner.」動物園の檻にこれとほぼ同一の文句が掲げられていることを考えると、これは鑑賞者に対する痛烈な皮…

メヘル・シアター・グループ『1月8日、君はどこにいたのか?』(2012)

『1月8日、君はどこにいたのか?』は1挺の拳銃をめぐるサスペンスだ。ジャン・ジュネ『女中たち』の稽古のために芸術家サラの家に集まった4人の女とその関係者の2人の男。男の1人、兵士のアリが目を覚ますと他の面々の姿はなく、そして彼の拳銃も消え…

三野新インタビュー(2012)

ヒッピー部は「写真家・三野新を中心に、写真と身体行為の関係性を探求するカンパニー」(ヒッピー部公式サイトより)である。F/T公募プログラム参加作品である『あたまのうしろ』もまた、写真を撮るという行為自体を題材とした上演となるようだ。F/T公式サ…

クレタクール『女司祭−危機三部作・第三部』(2012)

海外から招聘された演目を観ていつもどこか居心地の悪い思いをするのは、それが上演される背景となった事実や文脈に実感を持てないからだ。『女司祭‐危機三部作・第三部』も語られる内容に実感を持てないという点では同じだったのだが、それでもなお、厳しい…