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ルビンの壷、あるいは演劇 村川拓也論

はじめに 村川拓也の演劇作品はルビンの壺に似ている。ルビンの壺とは図地反転図形の1つ、壺にも向き合う2人の人物の顔にも見えるというあの図形の名前である。 たとえば、村川の演劇作品『ツァイトゲーバー』『言葉』『羅生門』ではそれぞれ「介護」「被…

地点『光のない。』(2012)

「わたし(たち)」「あなた(たち)」が執拗に反復される地点『光のない。』のオープニングはエルフリーデ・イェリネクの『光のない。』というテクストへの優れた導入となっていた。閉ざされた防火シャッターの前にせり出した舞台。「わたし」と言いながら…

三野新『あたまのうしろ』(2012)

ヒッピー部『あたまのうしろ』は奇妙な作品だった。ヒマワリが咲く庭の映像とその前に立つ女。彼女の写真を撮る男。時おり言葉が交わされるものの、物語を紡ぐほどではない。舞台では人が動き、写真が撮られ、映像が撮られ、そして映し出されたそれらがまた…

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(2012)

The end of company ジエン社『キメラガール アンセム/120日間将棋』(以下ジエン社、『キメラガール』)で彼らが希求していたのは世界の可能性だ。演劇というメディア、同時多発会話という手法、将棋というモチーフは全て、世界の可能性に手を伸ばすために…

LFKs『たった一人の中庭』(2012)

0. 『たった一人の中庭』の最後に待ち構えているのは校庭のそっけない立て札だ。「外国人に食物を与えないでください。 Please do not feed the foreigner.」動物園の檻にこれとほぼ同一の文句が掲げられていることを考えると、これは鑑賞者に対する痛烈な皮…

メヘル・シアター・グループ『1月8日、君はどこにいたのか?』(2012)

『1月8日、君はどこにいたのか?』は1挺の拳銃をめぐるサスペンスだ。ジャン・ジュネ『女中たち』の稽古のために芸術家サラの家に集まった4人の女とその関係者の2人の男。男の1人、兵士のアリが目を覚ますと他の面々の姿はなく、そして彼の拳銃も消え…

三野新インタビュー(2012)

ヒッピー部は「写真家・三野新を中心に、写真と身体行為の関係性を探求するカンパニー」(ヒッピー部公式サイトより)である。F/T公募プログラム参加作品である『あたまのうしろ』もまた、写真を撮るという行為自体を題材とした上演となるようだ。F/T公式サ…

クレタクール『女司祭−危機三部作・第三部』(2012)

海外から招聘された演目を観ていつもどこか居心地の悪い思いをするのは、それが上演される背景となった事実や文脈に実感を持てないからだ。『女司祭‐危機三部作・第三部』も語られる内容に実感を持てないという点では同じだったのだが、それでもなお、厳しい…