三野新インタビュー(2012)

ヒッピー部は「写真家・三野新を中心に、写真と身体行為の関係性を探求するカンパニー」(ヒッピー部公式サイトより)である。F/T公募プログラム参加作品である『あたまのうしろ』もまた、写真を撮るという行為自体を題材とした上演となるようだ。F/T公式サ…

メヘル・シアター・グループ『1月8日、君はどこにいたのか?』(2012)

『1月8日、君はどこにいたのか?』は1挺の拳銃をめぐるサスペンスだ。ジャン・ジュネ『女中たち』の稽古のために芸術家サラの家に集まった4人の女とその関係者の2人の男。男の1人、兵士のアリが目を覚ますと他の面々の姿はなく、そして彼の拳銃も消え…

クレタクール『女司祭−危機三部作・第三部』(2012)

海外から招聘された演目を観ていつもどこか居心地の悪い思いをするのは、それが上演される背景となった事実や文脈に実感を持てないからだ。『女司祭‐危機三部作・第三部』も語られる内容に実感を持てないという点では同じだったのだが、それでもなお、厳しい…

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』/『横浜借景』/toi『反復かつ連続』

「人間には物語が必要なのです」 ー『屍者の帝国』1.『屍者の帝国』『屍者の帝国』はそれ自体極めてフランケン的な小説である。早逝した伊藤計劃の遺したプロローグを円城塔が書き継ぐことで完成した『屍者の帝国』。物語は屍者が労働力として活用されている…

柴崎友香『ドリーマーズ』

時間は幾重にも折り重なった薄絹のようなもので、現在の向こうにふと過去が透けて見えることがある。あるいははっきりと意識していないだけで、私たちの思考は現在と過去を常に行き来しているのだと言ってもよい。柴崎友香『ドリーマーズ』は夢をモチーフと…

鈴木光『Mr.S & ドラえもん』

ドラえもんはいない。ドラえもんはいなかった。ドラえもんはいないだろう。日常の風景や人物を捉えた、無数の映像のモンタージュ。それぞれのカットはごく短く、私たち観客がそこに映し出されているものの全体を把握するかしないかのうちに次のカットに移っ…

クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト ライジング』

善悪の境はどこにあるのか。そもそも善悪の区別はあるのか。あるとすれば何がそれを決めるのか。法か倫理か。ノーラン版バットマン三部作を貫くこのような問いはしかし、『ダークナイト ライジング』という映画のスペクタクルとサスペンスの前にともすれば…

小野不由美『残穢』

実録風ホラー小説である。「端緒」と題された冒頭、作家の「私」の下にある女性から手紙が届いたことが語られる。自宅マンションの一室で机に向かっていると背後の和室からサッサッと微かな音が聞こえるというのだ。ただそれだけのこと、だったのだが…。怪異…

舞城王太郎『SPEEDBOY!』

『煙か土か食い物』でメフィスト賞を受賞&デビューして以来自分自身とその文体をひたすらドライブしてきた舞城王太郎がまさに自らのまとうスピードそのものをモチーフとして書き上げた小説『SPEEDBOY!』は背中に鬣を持つ少年の疾走に加速していく文体/展…

nibroll『see/saw』

nibrollの振付・演出家である矢内原美邦は、今回の作品制作にあたって震災、震災後の世界を強く意識したという。昨年シアタートラムで上演された『This is Weather News』は、震災の前に制作された作品であるにも関わらず、多くの観客に震災との関連を思わせ…

辻村深月『鍵のない夢を見る』

辻村深月は苦い。彼女の作品には個人の存在の足元が突如として揺らぐ、その瞬間があるからだ。プライドや価値観、「日常」は打ち砕かれ、その衝撃は読者である私たちをも襲う。そこには彼女が敬愛するミステリの遺伝子がたしかに受け継がれている。世界は転…

細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』

『おおかみこどもの雨と雪』が何の映画か、問われるとうまく答えられない。母と子の、あるいは人間と自然の映画であるとするのが穏当なところなのだろうが、そうと言い切るにはためらいを覚えてしまう。両者の葛藤が描かれつつも、そこには何か決定的な齟齬…