useful_days 9/30:わたしたちはひとりで野次馬になることはできない マルセロ・エヴェリン/デモリションInc.『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』レビュー

薄暗い空間に蠢く黒い塊と観客たち。上演空間に入るなり目にしたのはそんな光景だった。連ねられた蛍光灯が胸の高さに吊るされ、リングを囲うロープのように空間を区切る。観客はそのパフォーマンスゾーンに「入ってもよい」。どこからかドッドッドッと規則正しくリズムを刻む音が聞こえる。と、音を発している物体が目に入る。黒い塊。全裸で黒塗りの男女5人が互いに手を取り絡まり合った状態で足音高く移動している。薄暗い空間で彼らの肉体は半ば溶け合っているようにも見える。黒い塊のルートを避けるように緩やかに移動する観客たち。ふいに足を縺れさせた黒い塊が床に転げる。
 
この瞬間、観客の「見ること」への欲望が曝け出されることになる。移動することをやめた彼らを囲む観客たち。床に転げる彼らをよく見るには観客の輪の最前列に立つか、前に立つ観客の隙間から覗き見なければならない。観客の輪は自然と密度の高いものになる。彼らが倒れる瞬間に光を増す蛍光灯もまた「見ること」への観客の欲望を誘うかのようである。観客たちは力尽きた獲物に無言で殺到する。
 
もちろん、観客の中にはこのように「踊らされる」ことに、あるいは自らの欲望を曝け出すことに抵抗を覚えるものもいただろう。黒い塊の移動と転倒は数度繰り返されるのだが、実際、回を重ねるごとに「野次馬」の輪に加わらないことを選ぶ観客の数は増えていたようにも思う。ところが、そんな彼らもまた「見ること」から降りることはできない。彼らもまた新たな「野次馬」の輪とならざるを得ないからだ。黒い塊を見る観客、をさらに見る観客。リングのさらに外側にも観客が存在していることがこの構造を強調する。黒い塊を中心とした緩やかな同心円。観客がそのどこに位置していたとしても視線は中央を向いていただろう。パフォーマーはその場に倒れこむというシンプルな動きだけで観客に同心円を描かせる。いずれにせよ観客は「踊らされている」のだ。
 
黒塗りのパフォーマーたちが群れあるいは群体のごとくふるまっていたように、観客たちもまた群れとしてふるまう。黒い塊を避けて移動する観客の姿は狼から逃げる羊の群れのようでもあった(実際のところ、獲物を狙っていたのは観客の側だったわけだが)。さらに、床に転げたパフォーマーたちは塊のまま床を這いずりアメーバのような動きを見せはじめるのだが、このとき、その周りを囲んだまま移動する観客の姿もまたアメーバの細胞膜のようであった。いつしか観客もパフォーマーと同じ生き物の一部になっている。四角いリングの枠組みをこそ細胞膜に見立てるならば、あるいは観客もパフォーマーも等しく細胞を満たす媒質にすぎないのかもしれない。
 
やがて黒い塊が解け、群れとして行動することをやめるときがくる。ある者は涎を垂らしながら、ある者はファイティング・ポーズを取りながら、そしてまたある者は観客の匂いを嗅ぎながら、別個の存在として空間を徘徊しはじめるパフォーマーたち。このときはじめて観客は彼らを個別の(しかし黒塗りによって個性の大部分が消去された)人間として把握することが可能になる。同時にこの場面では、観客もまた群れとして行動することをやめ、個別の人間として作品を鑑賞しはじめる。見る対象が複数になったということがまず第一の理由なのだが、それにしても先ほどまでとは違い、観客はパフォーマーを囲むようなこともなく、パフォーマンスゾーンにほぼ均一に散っている。この違いは何なのだろうか。
 
その答えはおそらく目にある。人間を人間たらしめているのは目なのだ。パフォーマーたちが黒い塊として存在していたとき、ほとんどの観客はパフォーマーの目を認識することはなかっただろう。だが今や5人の人間としてそこに立つ彼らには観客を見つめ返す目がある。黒塗りの裸体に目の白さは際立ち、その存在を強調しているかのようですらある。パフォーマーに近い観客は彼らとまなざしを交わすことになる。そうして彼らが人間であることを確認した後では、先ほどまでのように欲望のままにパフォーマーを見続けることは難しい。あるいは、視線の対象が複数化したことで観客の密度が下がった自体も観客の「見ること」への欲望を挫いていると言えるかもしれない。わたしたちはひとりで野次馬になることはできないのである。
 
パフォーマーたちは再び集まり、今度は互いを突き飛ばし合うかのような動きをはじめる。突き飛ばし合いながらも群れであることをやめない彼ら。あまりに激しい動きに観客はリングの四辺に留まるしかない。空いた中央のスペースで激しく動き回るパフォーマーたち。突然、リングの外から飛び込んでくる新たな男。彼に弾き出されるようにして1人の女が群れから外れ、空間の隅へ。身を捩る女のすすり泣きのような声が耳につく。やがて女が再び群れに合流すると、彼らは互いの体をまさぐり合い、所構わずキスをし合う。そして彼らは再びバラバラになると、周囲の観客のひとりひとりと目を合わせながらゆっくりと歩き回る。気づけば減っているパフォーマーたち。よく見ると観客の中に紛れるようにしてパフォーマーが立っている。彼らもまた観客と同じようにリングの中央あたりに視線を向けているのであった。全てのパフォーマーが観客の中に溶け込むと、彼らは静かに蛍光灯のロープをくぐり、リングの外へと出て行った。後には観客だけが残される。
 
人間はどこから人間なのだろうか。一体なにが人間を人間たらしめているのだろうか。群れることか、ひとりで立つことか。争うことか愛することか、それとも孤独か。異形の黒い塊は黒塗りの人間となり、ついには私たち観客の中に消えていった。さてでは私たち観客は果たして人間としてふるまえていただろうか。『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』は野蛮にも見える手つきで「人間」を抉り出す。
 
マルセロ・エヴェリン/デモリションInc.
『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』
*ムービーも有り