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She She Pop『春の祭典——She She Popとその母親たちによる』

ドイツの女性パフォーマンス集団She She Popはかつて、『リア王』をモチーフに自らの父親たちと『Testament』という作品を作り上げた(筆者は未見)。自らの母親たちとの共同作業による今作『春の祭典』はその続編とでも言うべき作品である。『春の祭典』をモチーフにした今作の主題は母と子、家族との関係の間で生じる「犠牲」だと言う。また、日本での滞在制作によって作られた本作は日本の社会状況や男女・親子関係などについてのリサーチを踏まえた作品でもある。前半は母と子の間で交わされる対話、後半はストラヴィンスキー春の祭典』の音楽に乗せたパフォーマンスの二部構成。

天井からはスクリーンの役割を果たす4枚のタペストリー吊り下げられており、「母親たち」はそこに映写される映像で「出演」する。
前半の対話では本音を晒すことは互いに強要せず、しかし比較的率直に思える言葉で母と子それぞれの払った「犠牲」や親子関係が語られる。後半のパフォーマンスは「犠牲」のモチーフが散りばめられた、全体的に儀式めいたものであった。母と子はときに互いに攻撃しあい、あるいはその立ち場を入れ替えるかのように見える。
 
それなりに完成度の高いパフォーマンスではあったのだけど、当日パンフなどで説明されていた以上のことがあったようには思えず、ラストで「観客も母親と自分との関係について話し合うべきです」みたいなことを言われて完全に引いてしまった。それは作品で言うべきことでは……。
 
対話の場面を見ていると母と子の対等な関係の構築が目指され、ある程度はそれに成功しているようにも思えるのだけど、そもそも映像と生身という「出演」の仕方の違いが大きな不均衡を生んでいることには注意が必要だろう。映像に閉じ込められた「母親たち」に反抗は許されておらず、それはかつて自らを縛り付けた「母親たち」への「子供たち」からの逆襲のようでもある。この不均衡は後半のパフォーマンスに特に顕著である。母と子が互いに攻撃し合う場面では、子からの攻撃は母(の映し出されるスクリーン)に届くが、スクリーンに映る母からの攻撃は決して子には届かない。
一方、舞台は当然のことながら録画された「母親たち」の映像にあわせて進行する。その意味では作品を真に支配しているのは「母親たち」であると言うこともできるだろう。いずれにせよ、関係はどこまでも不均衡なものでしかない。
もう一点、4人の出演者のうち1人が男性だったことも気になっている。スカートのような衣装だったのでジェンダーにフォーカスがあたるのかとも思ったのだけどそんなこともなく、見る限り他の女性出演者たちと同じ扱いだったのが不可解。
 
日本での滞在制作による作品で、しかも当日パンフによれば日本での上演しか予定されていないということだけど、その割にはドイツ語圏以外で上演することには対する意識が希薄なように感じた。後半は非言語パフォーマンスだったけど前半は完全にドイツ語による対話(+日本語字幕)のみで、その対話も特に面白いものでもなかった(新鮮味がないと言うか、いかにもと言うか。これはパフォーマンス全体に言えることだけれども。)ので特に前半は見ててなかなか厳しいものがあった。