『蒲団と達磨』とサンプル

岩松了の戯曲『蒲団と達磨』には人の出入りが多い。舞台となる和室にはその主である夫婦とその家族だけでなく、彼らの友人知人、果ては赤の他人であるバスの運転手や家政婦の恋人までもが登場する。蒲団が敷かれ、寝室として使われている和室にだ。ここに岩松と同じく九〇年代の「静かな演劇」ブームを担った平田オリザの作品の相違を見ることも出来るだろう。平田の作品の多くはそもそも人の出入りが多いパブリックスペースに舞台が設定されている。たとえば『東京ノート』の舞台は美術館のロビーだ。一方、『蒲団と達磨』の舞台は夫婦の寝室という極めて私的な空間であるにも関わらず人の出入りが多く、それがある種の気持ち悪さを生む。それは日本家屋という、もともと内外の境がはっきりしない場所のもたらす必然だ。夫婦の寝室はプライベートな性質を持ちつつ、空間としては開かれている。そのギャップが生じる軋みこそが『蒲団と達磨』のドラマツルギーなのだ。

サンプル・松井作品の多くは閉じられた空間で煮詰まっていく人間関係を描く。登場人物は比較的早い段階で出揃い、空間的な出入りはあっても物語から早々に退場することはない。一方、『蒲団と達磨』では舞台に最初からいたバスの運転手は作品半ばで姿を消し、夫の飲み友達は後半になってようやく登場する。妻の元夫はさらにその後、家政婦の恋人に至っては最後の最後に廊下を通りがかるだけだ。通り過ぎる人々。しかし部屋の中心には不動の万年床があり、その下には欲望が押し込められている。

日本家屋の「ゆるさ」は村社会の閉鎖性と裏腹なものとしてあった。閉じられた村だからこそ開かれる家。しかし現在、しばしばこれとは逆の状況が生じている。閉じられた部屋もまたその内部から容易に世界へと通じてしまうのだ。メルトダウン。密閉されたサンプルの中身が外界に触れる日も近い(かもしれない)。