辻村深月『鍵のない夢を見る』

辻村深月は苦い。彼女の作品には個人の存在の足元が突如として揺らぐ、その瞬間があるからだ。プライドや価値観、「日常」は打ち砕かれ、その衝撃は読者である私たちをも襲う。そこには彼女が敬愛するミステリの遺伝子がたしかに受け継がれている。世界は転覆し、隠れていたものが露わとなる。なってしまうのだ。


直木賞を受賞した『鍵のない夢を見る』には五本の短編が収められている。初期の作品群では高校生大学生の青春の痛みを好んで描いてきた辻村だが、彼女の年齢とともに作品の幅も広がり、出産後一冊目となる今作では、彼女と同年代=アラサー世代までの女性たちが主人公に据えられている。友情、恋愛、結婚、子育て。彼女たちのささやかな望みは現実との間で軋みを上げる。


「鍵のない夢を見る」という言葉は五本の短編に共通するテーマを示す。鍵のない、ということはつまり出口はあるのだ。だがそれを開けることは叶わない。外に出るには夢そのものを壊すしかないのだがそれは怖い。時おり鍵穴からちらりと外=現実を覗いては見て見ぬ振りをする。やがて夢こそが彼女にとっての現実と成り代わる。彼女たちに出来るのは夢を見続けることだけであり、夢という檻の中で彼女たちは疲弊していく。


夢の崩壊はそのまま世界の崩壊を意味する。あるいは解放だろうか。それとも案外、何一つ変わらないのかもしれない。彼女たちの迎える結末は様々だ。夢というのは繭のようなもので、それを脱ぎ捨てることで私たちは大人になる。だがその居心地のよさに囚われたとき、夢の種は悲劇の芽を出す。


辻村の嘘は巧みだ。一人称で語られる物語、それこそが「現実」だと信じる私たちは不意に裏切られる。現実に突き戻された私たちは我が身を振り返り、口の中に苦い唾を感じることになるだろう。自らの思う「現実」だけを見る己の姿がそこには写し出されている。