nibroll『see/saw』

nibrollの振付・演出家である矢内原美邦は、今回の作品制作にあたって震災、震災後の世界を強く意識したという。昨年シアタートラムで上演された『This is Weather News』は、震災の前に制作された作品であるにも関わらず、多くの観客に震災との関連を思わせた。nibrollの作品は生と死という人間の根幹に関わるものを常に孕んできたのだ。今回の公演からメンバーにダンサーを加え、ディレクター集団からダンスカンパニーへと生まれ変わった新生nibroll。その第一作は、生と死に真っ向から取り組み、それらを内部に包含するような、スケールの大きな作品となった。
 
高さのある白い空間。両サイドに存在感のある柱が立ち並ぶ。舞台中央には白い布が巻きつけられたシーソー。その上にはいくつかの、やはり真っ白な風船。
 
冒頭、白い衣装の女性ダンサーのソロ。シーソーの背後で踊る彼女に重ねられる無数の光の輪の映像は、身体から迸る命の光にも見える。伸ばした腕の、指の先へと溢れる光。やがて同じ衣装のダンサーが二人。そしてさらに一人。白い衣装の赤い模様は血の痕、それとも花だろうか。背後に投影されるいくつかのイメージ。「これは彼女が最期に見た海です」「これは彼が供えた花です」  …。死と喪失を思わせる言葉。力強く踊る彼女たちは、しかし同時に濃厚な死の気配をまとう。
 
薄暗い空間に横たわりながら、座りながらのダンス。打ちつけられる腕が、足が立てる音が空間に響く。砂時計のそれのように降り注ぐ砂の映像が壁や柱に。時に何人かがユニゾン。刻むリズム。白い砂とともに時間は降り積もり、空間は再び白く染まっていく。
 
彼女たちは叫ぶ。呼応するように、降り注ぐ家具や日用品と思しき映像。瓦礫を思わせるそれは叫び声と重なって心を揺らす。やがて黒い衣装の人々が舞台の奥から現れる。サイレンのように響く叫び声。ほつれた衣装、顔には絆創膏。彼らは死者だろうか。白い衣装の彼女たちは死者の間を駆ける。叫び声が最高潮に達した瞬間、静寂と暗闇。そして漠とした死の世界に再び生が芽吹くように、地面から無数の光の筋が伸びていく。
 
人の姿の消えた舞台に、黒い衣装の女性たちによって色鮮やかな花が撒かれる。「葬儀屋で働いています」と言う彼女。先程のはやはり死者の叫びだったのか。死者の黒い衣装は喪服へと転ずる。床一面に撒かれた弔いの花は、しかし、すぐにほうきで掃かれていく。持ち込まれる白い椅子と、思い思いの行為に没頭する彼ら。気付けば、冒頭の女性ダンサー4人も黒い衣装に身を包み、彼らに溶け込んでいる。人々はやがて椅子に着く。ゆっくりと傾き、地面に崩れ落ちる人々。残された白い椅子は墓石のように立つ。
 
ほとんどの人が地面に横たわったとき、一人の女性が前へと進み出る。彼女は頭上にシンバルを掲げると、それを地面に激しく、何度も叩きつける。ガシャン、ガシャンと音が響く中、倒れている人々はゆっくりと立ち上がる。それが何度も繰り返される。夜の次に朝が来るように、死と再生を繰り返す人々。ならばシンバルは朝を告げる目覚めのベルか。シンバルを叩きつける女性の激しさは、再生への切なる祈りなのか。だがそれは同時に破壊のイメージをも強く想起させる。
 
背後から駆け寄り、ドン、と人を突き飛ばす。突き飛ばした我が手をマジマジと見る。別の人間に突き飛ばされ、よろけながら走り去る。突き飛ばし、突き飛ばされ、走り、また突き飛ばす。加害者は被害者に、被害者は加害者に。二重の円を成し回り続ける因果の輪。速度だけが増していく。それが立ち止まる間もない速さに達したとき、そこにもはや加害者/被害者の区別はなく、永遠に続く運動に疲弊していく肉体だけがそこにある。
 
そして一人だけが残る。無心に踊る。バケツを持った男が彼女に水をぶちまける。ずぶ濡れになり、それでも踊りながら、舞台の奥へゆっくりと消えていく彼女。壁の裏側からの、嬌声にも似た声はやがて寝息へと変わり、ゆっくりと闇が訪れる。ぶちまけられた水に津波を想起した観客もいただろう。客席からは息を呑む音が聞こえた。だが舞台ではそれ以上何も起こることはなく、静かに作品は終わっていく。
 
かつての  nibrollは「キレる身体」とも評される身体を繰り返し提示してきた。意思によるコントロールを振り切ろうとするかのようにも見える暴力的な身振り。衝動が内側から身体を喰い破る、そんな破壊的な印象は、しかし今作にはない。死の気配が消えたわけではない。死はそこに、ある。生と死の交点としての身体が、崇高さすら感じさせるあり方でそこに投げされていた。
 
nibrollの新たな傑作たる『see/saw』は、横浜での公演を経て、8月には越後妻有トリエンナーレでの野外公演を迎える。崇高とは人智の及ばぬもの、人の存在を脅かすものへの畏れの念であった。横浜公演でのダンサーたちは、たしかにその内に死を孕み、私たちに畏れの念を起こさせた。だが古来より畏れの対象となってきた大自然に囲まれたとき、彼らの身体はどのように立つのか。「震災後」を生きざるを得ない私たちは、そこに自らの在り方を見ることになるだろう。