問うために/遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』レビュー

質問をするのになぜ資格がいるのだろうか。『夏の終わりの妹』の舞台である架空の町、汝滑町にはインタビュアー資格制度なるものがあり、その町ではインタビュアー資格を持っていれば誰にどんな質問をしてもよいのだと言う。逆に資格を持たない者にはどんな質問の権利も許されていない。

主人公である謝花素子がインタビュアー資格を取ろうと思った理由は大島渚監督の映画『夏の妹』にある。『夏の妹』を見て「つくづく、さっぱり意味がわからないことに茫然とした」素子は、たまたま住むことになった汝滑町でインタビュアー資格制度の存在を知り、大島渚にインタビューをすることを思い立つのである。とは言え、それはそれほど強いモチベーションにはなり得ず、勉強もせずに何となく資格試験を受け続けた素子はいつまで経っても合格しない。そして二十四回目の不合格の日、東日本大震災が起きる。

東日本大震災直後の状況においてあらゆる質問ができないことにフラストレーションを感じた素子はインタビュアー資格を取るための勉強を本格的にはじめ、ついにインタビュアー資格試験に合格する。だがその直後、大島渚監督の死が報じられるのであった。質問する資格を持っているにも関わらず、素子は質問を発することができない。素子は遅過ぎたのだ。

ところで、素子が合格したインタビュアー資格試験が実施されたのは、東日本大震災以降初の参議院選挙が行なわれたのと同じ2012年12月のことであった。素子は東日本大震災を受けてインタビュアー資格を得るための勉強をはじめ、その成果は2012年12月の試験によって試された。素子は問いを発する資格を得ることはできたものの、結果としてその機会は永遠に失われてしまった。ここに一つの教訓がある。問いを発するためには常日頃からそのための準備を怠ってはならない。問題がはっきりしたときには全てが手遅れかもしれないのだから。

インタビュアー資格制度は架空の制度だが、現在の日本においては「特定秘密保護法秘密保全法)」という法律が準備されつつある。『夏の終わりの妹』の最後に聞こえてきたのは不穏なヘリの音だった。



*このレビューは11/4の文学フリマで発売予定の批評同人誌ペネトラに掲載されるクロスレビューの1本です。