ドキュメンタリーと編集——村川拓也『終わり』(2015.4.ver.)

 村川拓也の新作ダンス作品『終わり』を観て何よりもまず驚いたのは、それがあまりにダンス然としたダンスだったことだ。クレジットがなければコンテンポラリーダンスの振付家による作品だと思って見ただろう。しかしそれは村川の、いわゆる「振付」能力の高さを示すものではない。『終わり』の個々のムーブメントは全て、出演した二人のダンサー、倉田翠と松尾恵美が今までに出演してきたダンス作品の振付からの引用であり、村川の仕事はそれらを編集し再構成することにあったからだ。

 『終わり』は村川の作品としては二〇一三年の『瓦礫』に続く二作目のダンス作品である。だが周知の通り村川はダンサーでも振付家でもなく、ドキュメンタリー映画や演劇をメインフィールドとして活動してきた作家だ。ダンス作品としての前作『瓦礫』でもドキュメンタリー映画や演劇で培ってきた手法が採用されており、作品は出演する三人のダンサーそれぞれが普段従事する仕事(定食屋の店員、映画館のスタッフ、フィットネスのインストラクター)の身ぶりによって構成されていた。*1もちろん、日常の身ぶりを元に振付を作ることはコンテンポラリーダンスにおいてはそれほど珍しいことではない。だが『瓦礫』のユニークさは仕事の身ぶりがほとんど丸ごと、つまり出勤して着替えるところから退勤するまでの一連の身ぶりがほぼそのままに提示されているように見える点にあった。四〇分という上演時間を考えればそんなことはあり得ず、それらが編集されたものであることは間違いないのだが、個々のダンサーの身ぶりに焦点をあてる限りにおいては、仕事上の身ぶりがそのまま舞台に上げられているという印象を与えるものだった。ところが、日常ではそれぞれ異なる場所に属するはずの個々の身ぶりが舞台という一つの場所に置かれることで、それらは呼応し合いトータルとしての「ダンス」となる。つまり、『瓦礫』という作品の面白さは(少なくともその一部は)同じムーブメントが日常の身ぶりとダンスの振付という二つの領域の間に置かれ、観客の知覚が両者の間で揺れ動くところにあったのである。このような知覚のあり方は『ツァイトゲーバー』に代表される村川の一連の演劇作品とも共通するものだ。

 『終わり』もまた、出演者がすでに習得しているムーブメントを元に構成されているという点では『瓦礫』と同じ方法論によって作られた作品だと言うことができる。だが、元となる身ぶりの性質の違いが二つの作品を決定的に異なるものとしている。すでにしてダンスである身ぶりを元に構成された『終わり』においてはおそらく、観客のほとんどは他の村川作品で感じるような知覚の揺れを感じることがないからだ。

 『終わり』が上演されたアトリエ劇研アソシエイトアーティスト・ショーケースの当日パンフレットには「出演者二人の記憶と身体に蓄積された記録を扱った作品」とある。ここから、『終わり』が過去に出演者たちが出演した作品からの引用によって構成された作品であることを類推することはそう難しくはない。当日パンフレットのコメントを読んでいなかったとしても、『終わり』の振付の中にはダンスと言うよりは準備運動めいた動きもあり、そこから作品の成り立ちを類推することも可能かもしれない。村川や出演者のこれまでの作品を知る者ならば類推はより容易だろう。だが、制作過程を知ることは(あるいは知らないことは)『終わり』という作品の見方にどのような影響を与えるのだろうか。

 なんの予備知識も持たない者が『終わり』という作品を観た場合、ほとんどはそれを普通に振付られたダンス作品として観るだろう。しかし、『終わり』が引用によって構成されていることを知る者にとってもそれは大して変わらないのではないか。引用元の作品を観たことがある観客は『終わり』の上演に過去作品の記憶を重ねて見るかもしれない。だがある作品に過去作品の「記憶」を見ることは他の作品でもよくあることだ(それはダンサーの記憶かもしれないし振付家の記憶かもしれない)。『終わり』がそれ自体独立して鑑賞するに足る強度を備えており、参照されるのもまたダンス作品の記憶である以上、作品が引用によって構成されているかを知っているか否か、また引用元となった作品を知っているか否かによる観客の態度の違いは、作品全体の枠組みを揺らすほどの違いとはなり得ないだろう。誰が観ても作品が引用によって構成されていることが明らかであり、しかもそのことが作品の見方に大きな影響を与えていた『瓦礫』との違いは明らかだ。

 ここで再び『終わり』に寄せられた村川の言葉を引用してみよう。*2

200m先にいる人を想定して、その人に向かってセリフを届けようとすると体の状態が変わって声も大きくなるから良い、ということをよく芝居を作る時に耳にするし、自分もそうゆうまずシチュエーションを与えて、その影響で自ずと体や精神の状態が変わるみたいなことを使ったりしていますが、今回はそうじゃない。逆にする。まず体や精神の状態を先に作って、例えばおなかに空気を沢山入れて大きな声を出す。で、そんな大きな声を出すという事はつまり200m先に人がいるのだな、ってことになる。そういう順番で物事が決まっていくことをやってみたいです。何かをなくしたから探しているんじゃなくて、探していること自体が独立してまず行われて、ということは何かをなくしているんですね、という事になる道筋。シチュエーションが先にあって体が変化するのはイージーな事で、まず体が変わってシチュエーションが変化する事をハードだと思っています。

 ここではほとんど一つの演劇の方法論とでも言うべき内容が語られている。「まず体が変わってシチュエーションが変化する事」。平田オリザの提唱した「現代口語演劇」の一つの重要なポイントは、演技へのアプローチを(たとえばメソッド演技に代表されるような)内面的なものから外面的なものへと切り替えた点にあった。言い換えればそれは反応の重視であり、関係の重視だ。入力に対してどのような出力が返されるのかさえ整合しているのであれば、入力と出力の間にあるブラックボックスたる俳優の内面は問題とされない。村川の言葉は一見したところ内面重視への逆行とも読めるのだが、それはむしろ、出力と入力の逆転なのだ。もちろん出力と入力とが逆転することなど決してない。だが、入力に対する出力が整合していることが「自然な演技である」と判断する回路が観客に備わっているのであれば、その逆、つまりは出力から入力を措定する/させることも可能なのではないか、というのが村川の読みであり試みなのではないだろうか。実際のところ、演劇の観客は多かれ少なかれ常に出力から入力を措定しながら上演に立ち会っている。抽象的な舞台美術で上演される芝居を考えてみればそのことは明らかだろう。そこがどのような空間であるのかは俳優の立ち振る舞い=出力によって逆算され、観客に了解されるのだ。

 出力から入力へという回路の逆流は村川の手法とも密接に関連している。舞台に上げられた言葉や身ぶりが出演者への取材に基づいたドキュメンタリーだからこそ、措定すべき「正しい入力」=シチュエーション、それが本来置かれていた文脈が明確に想定できるのだ。『言葉』(二〇一二)について村川は「「過去」に書かれた言葉の、その時の情景をそのままダイレクトに舞台上で再生できないか」「「過去」に書かれた言葉の、その時の「現在」をどうやったら今の「現在」で再生できるかといったことを探求したい」と述べていた。ここには『終わり』にも通じる関心が読み取れる。過去をそのまま舞台に乗せることが出来ない舞台芸術の不可能性への挑戦。『言葉』はそのタイトル通り「言葉」という抽象的な概念を相手取っており、ゆえにそれは困難な挑戦としてあった。『瓦礫』『終わり』の二作品は身体という具体物をその対象とすることで、『言葉』でのアプローチの言わば「やり直し」を図ったものだと見ることもできるだろう。仕事上の具体的な身ぶりを扱った『瓦礫』からダンスという抽象的な身ぶりを扱った『終わり』へ。「過去」を舞台という「現在」に乗せるための試行錯誤は続いている。

 しかしすでに述べたように、『終わり』の観客が舞台上に提示された出力から本来の「入力」を知覚することはほとんど不可能である。少なくとも『終わり』という作品においては出力と入力の逆転という試みは作品を作る側の姿勢、上演に臨む態度の問題に留まり、観客を射程に捉えるものにはなり得ていなかったと言わざるを得ない。では実際のところ上演はどのように見えていたのか。

 作品冒頭、舞台中央奥の椅子に腰掛けたダンサーはおもむろに自らの頬を張る。ダンサーは無表情だが、「バシン」という音からかなりの強さでその動作が行なわれていることがわかる。間隔を空けつつ、張り手だけが執拗に繰り返される。十回を数えた頃、ようやく二人目のダンサーが登場するが、その後も張り手は続く。冒頭に置かれたこのシーンによって観客が感知するのは痛みであり、そこに肉体があるという生々しさだ。つまり、作品は記憶=過去よりもむしろ肉体=現在を殊更に強調する形ではじまっているのである。

 しかしここから先しばらくの間、暴力的な振付は姿を消し、ダンス然としたダンスが続くことになる。このあたりのシークエンスにいくつかの動作が繰り返し登場することから、それらの振付がすでにあった動作を編集することで構成されたものなのではないかという類推も可能かもしれない。およそ上演時間も後半に入ったと思われる頃、それまでバラバラに踊っていた二人はデュオで踊りはじめる。ここで筆者が考えたのは、そこでは身体の記憶の移植とでも言うべきことが試みられているのではないかということだ。つまり、一方のダンサーの身体の記憶としての振付をもう一方のダンサーがコピーすることで、身体の記憶の共有が図られているのではないかという推測である。頬を張る動作が二人羽織のような形で再現されたシークエンスがあったこともこの推測を補強するように思われた。だが、後に調べてみれば二人のダンサーは過去にいくつかの作品で共演しており、*3そうである以上、デュオパートがもともとデュオとして振り付けられたものである可能性は高いだろう(もちろんそうでない可能性も残されている)。

 だが考えてみれば、たとえデュオパートが身体の記憶の移植を意図したものではなかったとしても、他のパートでそれが行なわれていなかったと断言することはできないのだ。繰り返すが、そこで踊られているのがダンサー自身の記憶としての過去作品の振付であるということを知ることができるのは、作り手を除けば過去に該当する作品を見た観客に限られている。ゆえに、ダンサー自身のものでない記憶=振付をダンサーが踊ったとしても、それがダンサー自身の記憶でないと観客が知ることは不可能である。しかも、作品が稽古を経て上演されるものである以上、ダンサー自身の記憶に由来しない振付が含まれていたとしても、『終わり』が上演される時点ではそれはすでにダンサー自身の身体に記憶として取り込まれてしまっていることになる。ダンサーの記憶、振付の起源は観客に対して何重にも隠蔽されている。

 デュオパートと前後して再び暴力的な振付が現われる。横たわるダンサーの一人の腹をもう一方のダンサーが蹴るのだ。しかも相当に強く。この動作もまた執拗に行なわれる。舞台上に提示されるダンスを予めプログラムされたものとして見ていた観客(筆者のように『終わり』の振付を記憶の再生として見ていた観客だけでなく、単なるダンスとしてそれを見る観客もまた、予め用意された振付としてそれを見る点において変わりはない)は、ここで再び舞台上の身体の生々しさ=現在と直面することになる。もちろんほとんどのダンスでは舞台上に常に身体が現前しているわけだが、暴力とそれによる痛みはその生々しさをより一層曝け出すことになる(ゆえにコンテンポラリー・ダンスの振付にはしばしば暴力的な動作が導入される)。そこでは再生される振付=過去という枠組みを肉体=現在の生々しさがほとんど食い破ってしまっている。

 ラストシーンもまた異なる意味で印象的なものだった。再び舞台奥の椅子に腰掛けたダンサーにもう一方のダンサーが正面から歩み寄る。握手を求めるかのように手を差し出しかけた(ように見えた)ところで暗転。暴力を振るい振るわれる関係から一転して和解が暗示されているように見えるラストシーン。しかしそれはあまりに物語的過ぎやしないだろうか? いや、しかしこれはあくまで筆者が読み取った「物語」に過ぎない。結末は開かれているし、そもそも最後の動作が手を差し出す動作だったのか、それとも歩行動作の一部としての手の動きだったのかも実のところ判然としない。ただ筆者にはそのように見えた。

 編集はコンテクストを構成する。『瓦礫』においても、本来はバラバラの仕事の身ぶりであるはずのものが呼応して見える瞬間が用意されていた。複数の出演候補者に手紙で出演日時と指示を送りつけ、実際に劇場に来るかどうかは出演候補者の判断に委ねるという『エヴェレットゴーストラインズ』(二〇一四)においても、個々の出演(候補)者の行動の配置、つまりは編集が作品の構成上重要な働きを担っていたことは明らかだ。個々の出演候補者の判断に作品の成否が委ねられていたわけではなく、どちらに転んでも何らかのコンテクストを構成するような編集こそが作品の完成度を支えていたのである。

 しかし作品の完成度の高さは、実のところ諸刃の剣だ。予め準備された編集の巧さがあまりに目につけば、上演の場で立ち上がるはずの生々しさ、ものごとが今ここで生じているという感覚が減じてしまうからだ。『終わり』のアフタートークでも、本番直前のダメ出しで、それまできっちり決めていたいくつかのポイントを外すように指示したという話が出ていた。コンテクストを構成するための緊密な構造と現前の生々しさを失わないための余白。村川が優れているのはそのバランス感覚なのだ。

 村川の作品は一貫してドキュメンタリーと編集の技法によって作られている。作品はいずれも何らかの形で出演者自身のドキュメンタリーとしてあり、編集によって準備されたものが立ち上がるための場として上演がある。村川作品の上演が演劇そのもののドキュメンタリーとして機能していることはすでにいくつかの論考で指摘した通りだ。本稿で提出したのは『終わり』に限らず、村川作品の多くに共通する論点であり、その探求は今も続いている。『エヴェレットゴーストラインズ』は今夏、四つの異なるバージョンによる連続上演が予定されているし、今回の『終わり』もフルスケールの作品へと発展させるつもりがあるとのことだった。村川は今年の九月に韓国・光州にオープンするAsian Arts Theatreでのレジデンシーも決定している。ドキュメンタリーと編集の技法はこの先どのように研ぎすまされていくのだろうか。

*ペネトラ6掲載原稿

*1:瓦礫』についてはペネトラ3掲載の「ルビンの壷、あるいは演劇——村川拓也論」を参照。

*2:https://www.facebook.com/events/846921355364857/(二〇一五年四月十五日確認)

*3:Whenever Wherever Festival 2011『私の今日は彼女の今日より二時間ほど長い』(演出:倉田翠、二〇一一)、京極朋彦ダンス企画『いったりきたり』(振付・演出:京極朋彦、二〇一三)など。少し検索しただけなので他にもあるかもしれないが差し当たって共演の本数は問題ではない。